スタッフのつぶやき&お知らせ
感情や思想を言葉で表した芸術、、とは、なんだと思います?
”戦闘開始、覚悟を決めなければならない、、私は先生を敬愛する”、
、そこから、、、
”離れますものか!私にもプライドがあります”
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文学少年を志すつもりはなくても、、その文学小説にはまった中学時代があったのは事実。。。今更ながらに日本文学とは何なんだろうと、、、私なんかは教科書とかに載っている、昔の人の書物。。。この程度である( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。
《感情や思想を言葉であらわした芸術》
思わず「そうだったのか~」、、なんともわかりやすい、、それが言葉。
太宰治の本をよくよんでい た、私と同年代の女性のお客様から
「”杜子春”を読んで、なんで芥川龍之介が好きになったの?」
杜子春、、、
お金があるときに人は寄ってくる、無くなると離れていく、その繰り返し、そんな人間が嫌になった主人公・杜子春、、、現れた仙人に弟子にしてくれと願い出る。仙人は弟子になりたいのであれば、、と。
”なにがあっても声を出したらいけません”、、、仙人は様々な苦難を与え、杜子春は長い月日を過ごし、これに耐えるが、、、声を出してしまうんです
すると、目の前には仙人がいて、、状況は、出会ったとき、弟子入りを志願したその時であったというお話。
空を飛び、鬼が出てきて、地獄や仙人が出てきて、、長い月日がたっていたと思ったら、、実は時間は経過していなかった、、、、、これを私は”SF"ととらえたんです。
「SF?、、杜子春をとらえたの~?、男性の思考って面白い、わからないわ~」
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昭和の頃、人には決して見せることの無い、自分というものを書き留めたのが、、日記。相手に気持ちを伝える、交換日記や文通とは意味合いが違う。
そんな女性の考え方、言葉を読みたい、、そのために?愛人に「日記を見せてくれませんか?」と言えたのが太宰で、、それを見せれた才女がいたりして。斜陽という文学になるになる。
さらには別の女性には日記を書くのを勧めている、、その日記(ノート)の初めの文章に、このブログの冒頭の言葉が書かれている
決して口には出さない心の声が、なんとも、、せつないが、、、それを文字にできるのが日記、。それは芸術なのかもしれない、、。
太宰治に女性フアンは多いですよね、、その作品に共感しているわけです、、明治生まれの大正を過ごし、昭和の人の作品に、これは凄いことです、、まさに、人の想いというのは、今も昔も変わっていないという事ですよね?日本文学って半端ないっすね~( ̄∇ ̄;)ハッハッハ