スタッフのつぶやき&お知らせ

”戦闘開始、覚悟を決めなければならない、、私は先生を敬愛する”、

、そこから、、、

”離れますものか!私にもプライドがあります”

・・・・・・・・・・・・・ 

文学少年を志すつもりはなくても、、その文学小説にはまった中学時代があったのは事実。。。今更ながらに日本文学とは何なんだろうと、、、私なんかは教科書とかに載っている、昔の人の書物。。。この程度である( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。

《感情や思想を言葉であらわした芸術》

思わず「そうだったのか~」、、なんともわかりやすい、、それが言葉。

 

太宰治の本をよくよんでい た、私と同年代の女性のお客様から

「”杜子春”を読んで、なんで芥川龍之介が好きになったの?」

杜子春、、、

お金があるときに人は寄ってくる、無くなると離れていく、その繰り返し、そんな人間が嫌になった主人公・杜子春、、、現れた仙人に弟子にしてくれと願い出る。仙人は弟子になりたいのであれば、、と。

”なにがあっても声を出したらいけません”、、、仙人は様々な苦難を与え、杜子春は長い月日を過ごし、これに耐えるが、、、声を出してしまうんです

すると、目の前には仙人がいて、、状況は、出会ったとき、弟子入りを志願したその時であったというお話。

空を飛び、鬼が出てきて、地獄や仙人が出てきて、、長い月日がたっていたと思ったら、、実は時間は経過していなかった、、、、、これを私は”SF"ととらえたんです。

「SF?、、杜子春をとらえたの~?、男性の思考って面白い、わからないわ~」

・・・・・・・・・・・・・ 

昭和の頃、人には決して見せることの無い、自分というものを書き留めたのが、、日記。相手に気持ちを伝える、交換日記や文通とは意味合いが違う。

そんな女性の考え方、言葉を読みたい、、そのために?愛人に「日記を見せてくれませんか?」と言えたのが太宰で、、それを見せれた才女がいたりして。斜陽という文学になるになる。

さらには別の女性には日記を書くのを勧めている、、その日記(ノート)の初めの文章に、このブログの冒頭の言葉が書かれている

IMG_5187.jpg決して口には出さない心の声が、なんとも、、せつないが、、、それを文字にできるのが日記、。それは芸術なのかもしれない、、。

 

太宰治に女性フアンは多いですよね、、その作品に共感しているわけです、、明治生まれの大正を過ごし、昭和の人の作品に、これは凄いことです、、まさに、人の想いというのは、今も昔も変わっていないという事ですよね?日本文学って半端ないっすね~( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

 

Today's Schedule
2024.05.06 Monday