スタッフのつぶやき&お知らせ
防災の意識そのベクトルはどこを向いている
このお店がOPENして10年くらい、経った時、2011年に東日本大震災があった時、、東京では震度5強、、、東京で生まれ育った私が初めて経験する震度だった、
お客様が2人いる時、営業中にそれはきた、、、、一人は中野から、、一人は稲城(調布の先ってかんじかな)、、”帰りをどうする?”交通網がすべて止まってしまった状況で、
「どうも有難うございました、気をつけて帰ってね」、、な~んていう事は出来きるはずもなく。
まずは、バイクで中野のお客様を家まで送る、、しかし帰りには、道はごったっ返し、大渋滞、、普段の渋滞と比べて、それはほぼ進む事が無く、道路にはガソリンを入れる列もでき、ほぼほぼその渋滞は
さて、さて、稲城まで帰るには、どうしたら?店に泊まるという選択肢もあったが、、やはり家に帰りたい、、、歩いて帰る、、でも歩道もごった返している状況、、稲城まで通常なら3時間くらいか?
だったら、という事で私の自転車を貸して暗くなる前に帰路についた。。。
この時はまだ自転車が有効で、、久我山の自転車屋さんの奥様が、、都心の自転車屋さんの自転車が売り切れた、と、いう状況、を後日教えてくれた、。。
そんな、地震を経験したら、
防災の意識は高まるわけです。
最低限でも、このミルフーの入るマンションで何かできないか?最低限、このマンションに入るテナントだけでも何とかできないか?
何が必要か?食料、飲み物はいらない、隣がコンビニっていう事もあるし、スーパーも、ドラックストアも1,2分の距離、、季節関係なく、まず最低限使う物、地震の時に手に入らなくて困った物、、
それは何だ!”ガソリン”と”裸眼用の眼鏡”だった、、バイクは、数台、光悦のバイクがあったし、私を含め平岩も、全員がバイクは運転の経験はあったし、問題は、ガソリンがなければ動かない、、、かなり高価だが保管用のガソリンは売っている。実際、ガソリンはストックしていたし、メガネも家だけでなく、店、車の中に常備するようになった。
新潟の震災の時に、、高速道路上にいた親戚が一番困ったのが、、裸眼用の眼鏡。コンタクトユーザーであった為に、そのままつけっぱなしができない、はずさないといけない。。。。、高速道路には、大きく亀裂が入り、ゆがみ、、一晩を高速道路上で過ごした、コンタクトを外したいが、はずしたら、見えない、、、当たり前に家に帰れると思っていたから、、裸眼用のメガネはなかった。
当時、お客様から、ヘルメットをいただいた、。
「一番大事なのは、頭を守ることだから」と言って、わざわざ買ってきてくれた、、その気持ちがうれしいわけです
そして、このたび、
簡易トイレと、防寒シートをいただき、、備えあれば憂なし、、どこをどう備えるのか?どこに?
当時、お客さまで、東京の家を売り、南アルプス市に三世代で引っ越した方がいる。。
東京が、震災で住めなくなる可能性があるから、友人と3人で別荘を買った方もいる。
さて、さて、防災あなたのベクトルはどこを向いて準備しています?