スタッフのつぶやき&お知らせ
6.21
この日になると思い出します、、6/21。
今から18年前のこの日、、突然”君の人生はここで終わりだよ”
と、誰かがささやいたんです。。。救急車の中で視界がどんどん狭くなっていくんです、、最後に見た顔は救急隊員の顔、、涙があふれて”これで終わっちゃうのかよ~”、、本当、悲しくて悲しくて、、
「ちくしょう、ちくしょう、、、」と、声を出したのが最後でした。。。涙がとめどなく流れました、、
昔のブラウン管テレビが故障してプツンと切れるように、、、、、。
多くの人が、その時にかかわってくれました、、その誰一人、違う人だったら、私はここにいなかったんだろうな~と思っています。
そして、最大の選択を迫られたのは家内でした。
救急搬送で運ばれた病院では対処ができない、という事で、大きな病院に行くしかない、、でも今動かしたら、救急車の中で
息を引き取る可能性が高い、本来なら動かしたくないところだけど、ここにいてもどうする事もできない、ただ待つだけだったら行きましょう、、私も一緒についていきます、と院長先生が言ってくれたそうです。奇跡的になんとか、武蔵野日赤までたどり着き。
説明がありました。
当時、日赤には、第一脳外と第二脳外がありました。
今、第一脳外があいています、手術方法は頭を開いての手術になりますが、(私)の)状態が思わしくなく、命は助かります、が、言葉と右半身が不自由になる可能性があります。
もう一つ、第二脳外は脳血管内手術(当時は全国の病院でも2割でしかやっていませんでした)で、助かった場合,、手術がうまくいった場合は、何事もなくいつも通りに、復帰ができます。、ただし
今現在、手術中なので6時間かそれ以上待たないといけないんです、、その間に、息を引き取る可能性があります。。。。。どうします?
選択は、第二脳外、6時間待つ、、
理由は、、幼稚園から帰ってくる子供が家に誰もいなかったら、、、其れと、この場から、離れたい、、これだったそうです。。
そして、次に、この人が助かった時に、言葉が話せない、半身が不自由になってしまったという現実に、、耐えられないんじゃないか?だったら、このまま、、、、。
これ、私が逆の立場なら、まずは命を助けてほしい、、後はそれからだ、、で今すぐ手術ができる第一脳外を選んでいました。。
私はこの選択に感謝しています。
その後、:初めに運ばれて救急車に乗ってくれた院長先生、、手術をしてくれた担当医、主治医、看護師、、皆が口をそろえて言うのは
”よく助かった”と。。。
おまけでもらった命が、もう17年です