スタッフのつぶやき&お知らせ
長岡魂Tシャツ
花火で有名な長岡。
その花火を運営主催しているのが長岡花火財団です。その長岡の花火見に行ったことありますか?このイベントでは、たくさんの関連商品が売られて、駅ビルにはいっているそれぞれのお店でも趣向を凝らしたデザインの
Tシャツが売られています、、その中で”らしくない”ある意味、異彩を放つのが~オフィシャルの花火財団が作る”復興平和祈願花火Tシャツ”、、長岡魂です。
今年の夏に、新たにスタッフにプレゼントをしたのは、お話ししました。レトロな雰囲気があり、印刷のでかさも、パンツの中にTシャツを入れたら、ほぼ背中全面なのもいいですね~。
これをブログ上でアップしたことで何人かのお客様が「欲しい」となった訳です。。。
母親の実家でもあり、多くの親戚が住む長岡。さかのぼれば80年前の3/10に東京大空襲があり、その後、8/1の深夜から8/2にかけて長岡の街は2時間近く焼夷弾の雨が降り注いだわけです。
その数日後に広島、長崎に原爆が投下されます。。よく、なぜに❓県一番の新潟ではなく長岡だったのか?と言う話は度々聞くわけですが、
1つは、新潟に原爆が落とされる予定だったというものと、真珠湾攻撃を指揮した、山本五十六の生地が長岡だったこと。。
9割近くが焼け野原になったと聞いています、、、話は少しずれますが、、焼夷弾知っていますか?ミルフーの最高齢96歳、その方がよく話をしてくれたんです、爆弾が落ちて四方八方に火種が飛ぶ、それは生き物のように、”チョロチョロ”動いていて壁や屋根にへばりつく、するとそのチョロチョロしたところから火がついて家が燃えちゃう、、だから、必死にそのチョロチョロ動く火種を下に落とす、「必死だったよ、家が燃えてなくなったら大変だからね」そんな子供時代を過ごしてきた人は、、、強い。
木造の家が多い日本向けの爆弾だったんでしょうか?。。。
話を戻しましょう、、その後、2004年に新潟中越地震が起き、最大震度7を記録、長岡は6強、初めて新幹線が脱線したのを目の当たりにしたのを覚えています、、。
そしてやっと復興したかに思えた、、
その3年後、また新潟中越沖地震が発生、長岡は再度、震度6強の地震に襲われ、高速道路がよじれ、分断され実家はボロボロで何はともあれ生きていた事、倒壊しなかったことが、救いでした。が
長岡の人にしてみたら、くじけそうになった人は多かったわけです。
長岡の花火大会が、空襲後に慰霊の元、開催され 、その後2004年の震災後からフェニックスと言う久我山から、井の頭公園の先までの距離に尺玉が一斉に打ちあがる
花火が登場、、、、そして復興花火第一弾として、フェニックスの花火、そして下を流れる信濃川、そこに長岡魂を配したTシャツが誕生、袖口には、もうひとつの名物、長岡の歴史建造物でもある
長生橋がプリントされています、この橋は、三角形を組み合わせたトラス橋で日本では唯一現存しているものです。
かなりコアなTシャツなわけで( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
この夏に新色で出たので、買ったんです。ちなみに、オフィシャルな花火財団のサイトで見ると、これは”グレー“という位置づけです。
この色がレトロ感があって、ついつい買ってしまったわけなんですが、、これを気に入ったお客様が何人かいて、サイトでは夏の段階で欠品がかなり出て、一度に注文ができなかったので
先日、長岡に行ったときに、長岡花火ミュージアムに立ち寄り6枚買ってまいりました( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
ちなみに、私がM、平岩がS、高松がLです。もし財団のHPで手に入れたい人は、、わかりますよね、サイズ感が。高松にはLはでかかったようです( ̄∇ ̄;)ハッハッハ参考までに。



