スタッフのつぶやき&お知らせ
他人の記憶の中の”自分”
スマホは今誰でもが持っているツール、その中にある機能
人間の機能の中にあるメモリー、、記憶。これは悲しいかな薄れていく。
そのうち、きっかけがない限りは呼び出すことはできなくなる、、、その時に写真があるというのは心強い。まさにそれは自分の中の記憶で人に見られることはない、スマホで撮った写真も同じでパスワードがない限りは他人が見ることはない自分の記憶。
人と付き合う上でほとんどの人は、一日中一緒に過ごすことはない、自分以外の人のことは知ることはない
記憶というのは、悲しいかな薄れていくだけ、、、。でも自分以外の人の中にも”自分”は生きている、、。
先日久しぶりに友人と会ったその時
「なぜだか。お前との写真がこんなか(手帳)に入ってたんだ」
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我々世代は、手帳というものを好む、実際私も高校卒業とともに手帳を買っていまだに使ってはいないが手元にある。。
何枚か写真がいまだに入っている、、。
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そこには、友人と山登りに行った写真があった、、その話をするんだが、、私の中にその記憶がない、、いや行ったという記憶はある
だけど誰といったのかが出てこない、何人で行ったのか?その友人との記憶もない、、だけど写真には38年前の自分がそこにいて、
友人の記憶の中には確かに私がいる、、人の中にいる自分という記憶。
昔ながらのプリントされた写真、それをまとめたアルバム、捨てない限り、誰かがそれ開くことはある、、。
お客様(85歳女性)「もう写真を捨てようと思って、だれが見るわけじゃないし、娘にあげてもど~せ、見やしないでしょしね~」
山田「そうですかね~?僕はアルバムだけは取っておいてほしいと思いますよ、それ以外は何もいらないけど」
山田「だったら、見せてくださいよ、若いときのOOさん気になりますね~」
お客様「私の若いとき見たらびっくりするわよ、今はもうしわしわだけど、ミニスカートはいてさ~、綺麗だったのよ~」