スタッフのつぶやき&お知らせ
食事制限が、かかるのは、そりゃ辛い。
昨日からの寒さ、、堪えますね~、、
ミルフーは、OPENして23年目に突入しているわけなんですが、長ーく通って下さっているお客様は多いわけです、ある意味一緒に歳を重ねているわけです。
そうなると、どうなるか?
病気を患う事がポツポツでてきます。私事で言えば、
去年、脳梗塞でお店で倒れ、幸いなことに病院で治療ができ、担当の医師が、私の頭を15年来見てくれている主治医が、先輩であるとがわかり、、その後の検査で16年前にやったくも膜下出血の術後の変化が発見され、再手術をしたのは、ご承知の通り、、その話は、以前お話ししましたし、ブログにも去年のことは入院中の事も含めお話ししていますから、記憶に新しいとは思います、、まあ、過去ブログは、パソコンだとサクサクっと見やすくなっています。。私がミルフーのHPにある、ブログをほぼ毎日更新しているのは、脳内出血を発症したときに、言葉がわからなくなったからで、話せるんですよ、いつも通り、でも、LINEをしようにも、"おはよう"の"お"の字がわからない、
看護師に書いてもらっても、「そんな字だったかなぁ」、、その時の恐ろしさからからなんです。
と、まぁ、40代で初めて入院をして、.50.60代で、それぞれ脳卒中を経年劣化は、誰にでも来るわけです。
今年にはいり、糖尿病になったお客様が何人かいて、そりゃショックな訳です、私は糖尿病です、それをブログでも、会話の中でも話しますから、知ってるお客様は多いわけで、、、一番気掛かりなのは、食事、この不安は大きい。食事を作ることをするなら、工夫はいくらでもできますが、、、しない、、なら、、これが、難所なんです。
糖尿病は、日本の場合、一日の総カロリー なんです。
ある意味、何食べてもいい訳ですが、得てして好きな物が、足かせになっています。当時、ある一日のカロリーが4000キロカロリーになっていたのには驚きましたよ、
そう、カロリー計算なんてできませんよね?
でも、ご安心ください、どこにでもある、コンビニ、カロリー表示されているんです、たすだけで、いいんです、パンとか、調理品は全てです。
となりが、コンビニ
最強なんです、、まぁ諸刃なんですが😆
意外と思うかもしれませんが、、意外なものがあります
例えば昨日の晩御飯
キャベツ1袋。
直火焼きラム肉。
スモークチキンのポテトサラダ。
そして、、ラッキョウ、、( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、、、これでカロリーは450弱です、、大体夜は500キロカロリーに収めるようにしているので、、、、なな何と
コンビニがいいんです、、すべてにカロリーが書いてありますから、計算しやすい。
逆に家で料理となると、作る本人、奥様、なりが、勉強から、始めないといけないんです、これは、大変なんです。私は女房が、元病院の管理栄養士でしたから、救われています、、勉強するなら、NHKの"ためしてがってん"この書籍が非常にわかりやすい、おススメです。
病気になるって不安ですよ、とくに、今回のお客様にしても、そうですが、落ち込みます。
でも、大概の病気は、先人がいますから、いろんなアドバイスを受ける事ができます👍。これは、有意義ですね。
そうかぁ、
これ時代が変わったら、履歴書に病歴なんかを書くようになって。
「山田さん、君は、すごいなぁ、この病歴.エキスパートじゃないか!よし、採用」
なんては、ならないよねー😆
黒という色は、世の中になじむ?
今日は、寒い!と言う天気予報を受けて、、6時半に家を出るのを一時間ほど遅く家を出発、、そりゃ~重装備です。
爺シャツに、薄手のダウン、そしてブルゾンを着こみ、ネックウォーマーに、ヘッドホン、帽子、、、通勤は意外に暑く、
爺シャツは汗だく、そのまま洗濯に、、洗濯できるっていいですよね~。
そんな一時間の旅をするわけなんです、、出発時間が遅くなったことで、、西荻の駅の改札口には大量の通勤客がなだれ込んでいるわけです、、毎日の当たり前の光景でしょう、、その流れは水が押し流されているかのようで、ベルトコンベアに載っているようで、綺麗に改札口に列を作って進んでいくわけです。
その光景は非常に見ていてスリリングなわけなんです、”いったい俺は、この流れを横切れるのか?”、その流れを、わずかなスキをついて、その流れの速さを合わせ、私はその三重になった人の流れの中を横切るわけです、ぶつからないように、その流れをせき止めないように、注意深く、そして華麗に横切るわけです、、まさに熟練の技。
まさに、日体大の集団行動を、ほうふつさせる
。。。とまあ、前置きはいいとして、その流れは”黒”いわけです。”これが電車の中で堰き止められ、一体、車内はどんな渦を巻いているのか?”、、、おっといけない、また、話が戻る所でした、、、
”何故ここまで黒を着こむようになったのか?”
それくらい、その流れはほとんど黒の洋服なわけです。
そんな黒い流れを通り過ぎると時間的に、小学校の通学の流れに出くわすわけです、、この流れは、規則正しくなく予想がつきません、、突然流れが速くなることもあれば、あっという間に支流が出来上がることもあり、堰き止められることもしばしばなわけで、、ただこの流れは基本緩やかなわけです、、そして、非常~~に通勤と違って、通学はカラフルなんです。
そもそもで黒を着ている子はいません、あれほど、黒ばかりの中を通ってきた輩には、ギャップがあるわけです。その虹路の流れが、こんなにも色を楽しんでいたのに、、
中学高校の6年間で色を忘れて、決まった服装に慣れ、回りと同じようにすることで、安心感が得られる。。いやいや
溶け込む技術を会得したってことか!小学生の時から、電車で毎日通い(私の事です)、30近くまで通勤してきたわけですが、ここまでみんながみんな黒を着ていることは事はなかったですね~
それでも、私が20代の頃、あるベクトルの方向性の輩には、大流行しました、デザイナーズブランドが華やかだった時です。
全身黒、カラス族と世の中からは奇異な目で見られていたんです、私もそのベクトルの方をむいていました
まさにこんな格好をしていました。。先輩の中に、まさに、パンツの2枚履きをしている人がいたのを思い出します、真似したな~。当時はタックが入ったパンツがはやってたんです。。。
でも周りは美容師でしたし、カラス族は私も含め普通だったんです、想像してください、まさにこんな格好をしていた男と女が
2,3人で歩いてるわけです、全員タバコを吸いながら( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、誰が見ても、美容師か、ファッション関係なんだろうな~だったわけです
マフラーも2Mくらいあってボリューミ満点でしたもちろんテクノカットです。
昭和の時代、不思議と黒というのは冠婚葬祭の礼服寄りで、普段着に黒という色は使わなかったように思うんです、、だからこそ、奇異な目で見られてはいました。
そんな時代に生きていましたから、それからというもの、黒にはなじみがなく、、ここ30年ではカットソー1枚しか買ったことがありません。美容師としてカットをするようになって。黒は一切着なくなりました、茶系に移行、当時はアメカジを超~馬鹿にしてました、、今はアメカジですが( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
今はみんな同じような着こなしですが、ここまで黒がファッションとして取り入れられるっていうのは、、思ってもいなくて、今や、”だらけ”ですよね、いつからこんなに愛される色になったんだろう。。
カラス族、今いたらカッコいいな~、あのころはブランドが元気だった、、
テットオムの濃紺黒のトレンチ、イッセイミヤケの黒のスタンドカラーのジャケット、ギャルソンの炭黒パンツもちろんタック入りです、黒のロングブーツ、覚えてるな~、、なんでだろう
駅のホーム、エスカレーター、黒の割合はどれくらいですか?
去年上着としては20代以来の、40年ぶりに黒の上着、、ダウンを買った。。「ダウンを買っちゃ~だめだな~ロングのコートにしないと」。。。「ぶかぶかのパンツかいにいこうかな~」、、それでも、なれない30代以来の30年ぶりの黒、何故か”大人の匂いがする”( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
PLAYBOYという月刊誌
私がこの雑誌と出会ったのは小学生の時、実家前にあったコインランドリー、そこにこれが置かれていた。
思春期の扉を開けた
ヘアーヌード解禁まで、そこから15年もの歳月がかかる。。。
そして解禁になって早30年がたち、、今やVIO脱毛の時代、、ヘアーは用無しとなったのである。。。
月刊PLAYBOY日本版、、大人が読む雑誌だった、、当時の出版業界の時代の寵児が集まり、この本を発行した。。。、当時気鋭のカメラマンとして売り出そうとしていた、若き、藤原新也にカメラマンとしての声がかかるが、「断った」という話をなんかの本で読んだことがある。。その当時の子供の私には、”いやらしい本“という位置づけであったのは言うまでもないが、、そのイメージのまま、徐々に、普通の本屋?からは姿かたちが無くなり、目にする機会は減って行ったが、、ミルフーOPEN時あたりには、、、中野のブロードウェイに入っている本屋さん、くらいしか目にすることは無くなっていた。。。大人と化した私は、ここぞとばかりに、本を買ったのを覚えている。。。たまにプレイメイトが表紙ではないのは、、、買っていた。まだまだ、店頭で買うのが普通といった時代、、勇気を試されていた。。。
そんな本を買っている自分を”俺も大人になったな~”という目で見ていた。。もう10年以上前に悲しくも廃刊にはなってはいるが。。。。
「懐かしい~PLAYBOY,,これは読んでもいいんですか?」
「どぞどうぞ」
写真はLIFEに負けず劣らず、内容は、TIMEと遜色ない、
ただ、そこには誘惑があった。。
日本版は、海外版のそれとは違い、表紙も、それだけではなかったのがいい。。
客「こんな雑誌でしたっけ?」
山「わかるな~われわれせだいだとそうですよね~もっとヌードが満載だったんじゃなかったか?、意外とお洒落で、社会派で読むのに時間がかかる( ̄∇ ̄;)ハッハッハ」
客「これいいですよ、もっとエロい記憶しかなかった、見てはいるけど、読んではいなかったやつですね」
山「若かりし頃はプレイメイトにしか目がいかなかったですからね~」
客「吉永小百合と、野坂昭如の対談、、これ読みたいな=、バックナンバー探しますよ、、百恵ちゃんのインタビュ―もいいし、なんですかこれは、
内田裕也と、ジョー山中、宇崎竜童、桑名正博の酒と大麻の座談会って何なんですか,実際捕まってるじゃないですか、こんな座談会、今じゃできないですよ、40年前か~4人とも、めちゃくちゃかっこいいじゃないですか、これだけでも貴重!これもバックナンバー探したいな~、ちょっとこれお借りしていいですか?」
客「まいったな~、うわ~プレイメイトしか見てなかったから、、こんな凄い事やってた雑誌なんですね」
山「逆に今だからなんですよね、その人たちのその後を知っているからこそですよね~」
客「PLAYBOY、なめてたのに今気が付きましたよ、、若かったな=( ̄∇ ̄;)ハッハッハ」
山「やらしい雑誌っていう位置づけでしたよね、実際そうではあるんですけど、ここまで一冊で極端に色分けできてるの、PLAIBOYならではでしょう」
まさに時代の寵児・PLAYBOY。。。これが50年前にあったんだから、日本が元気だったっていう事でしょう。
milfooのワゴン
お疲れ様です、寒さのために、ついつい車で通ったりしてしまうわけなんですが、、とにかく、いたるところで道路工事をしている光景に出会います、、
いつもの道が通行止めなんて言うのはままあります。そんな
ミルフーも今はあちこち手直しの最中、、、先日は、CDを処分、、空いたスペースに、コツコツ新たに作ったり、、コード類がこの場所は入り組んでいたのをスマートにしたりと、、おかげですっきりしたわけなんですが、、、。昨日は、、ワゴンのキャスターのぐわいが悪くなり、、交換。。。
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自分のお店を出すときに、自分のそばに常に寄りそう”ワゴン”は相棒であるから、なんとか自分で作りたかったわけなんです、当時は。
ホームセンターとは
どちらかと言うと無縁で、近くの金物屋でネジとか木材を準備していて、、近くの公園に行っては、伐採した桜の木を譲ってもらって、それで作っていたわけなんです。
記念すべき1号機、、ここから大工仕事に興味が出てきたわけです、、毎年、電動工具をひとつづつ。買い揃え、製作の幅は広がって行ったわけです。一年後に、平岩が入社してきて、その時に制作したワゴンが、、入社するとプレゼントとして専用のワゴンを作っていたんです。
真ん中の、ワゴンがそれで,、形としては面白みがありませんが、、わずか一年でここまで成長した感じが見て取れましね~、、それにもまして、20年前の店内、椅子から、鏡、さらには、当時暖炉を自分たちで作ってたんです( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。当時からそのままの形て残っているのは、奥に見える自転車だけです、、床も今では変わっています、、懐かしい。。。
そこから20年がたち、ワゴンも進化してきました。
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ワゴンの肝となるのは、やはりがキャスター、、要はタイヤの部分、動きが悪い手何かと不便です、割れることもあり、そうなるとワゴンが転倒する可能性が出てきます、そうなる前にこれをそれぞれすべて交換、ついでにすすけてきていた塗装も、上塗りします。手を入れればより一層愛着がわきますし、相棒感が増します。
どちらも3号機です、、もちろん高松のもあります、今は入院中なので基地に格納されています
、、そして出動となれば、
分離して、活躍するわけです、、なかなか手が込んでるでしょう( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。。。ペンキも明日には乾くでしょう。
ワゴンの足も変わった事だし、、私も明日は車にしちゃおうかな~スタッドレス履かなくてもいいっていうのは、この2月ラッキー( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
10秒の付き合いが友人のように感じる。
お隣にコンビニがあるというのは、、ある意味媚薬である、、ついつい「買ってこよう」というスイッチが入る、、これが駅向こうだったら、まず行かない。。
一日一回いくのかどうか?
隣だからこそ一日何回となく足を運ぶ、、当然のことながら、顔見知りになるわけです、、「こいつまた来た‼、何やってんのかな?」とか噂にはなる、、、かな?
以前、毎朝ドトールのカフェモカを買っていた、、そこで働いていたスタッフが、ミルフーの上のレストランで(当時)バイトをし始めたときに、そこのオーナーさんに紹介された、、
その時に、、ン?見たことあるな?とは思ったら、、ドトールでバイトしていた人だったんです、、そうしたら
「あっツ゚、知ってます、カフェモカの人ですよね」
その時、自分がそう呼ばれていたことに、、なんか笑った( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
ファミマのバイト君とかとは、仲良くなる、、まあ、しょっちゅう行ってますし、髪を切りに来るバイト君もいます。今回、話に出てくるバイト君は、その当時、大学生で、19歳
「俺、探偵になりたいんっす」と当時熱く語っていたのを思い出す、、あれから11年、30になって家業を継ぐことになった。
先月には、田舎に帰るとは聞いていた、、そして今日、たまたまセルフレジではなく、彼のもとで精算
「俺、今日が最後っす」
長くいたバイト君がいなくなるのはさみしい、、新しいバイト君とはセルフレジがあるからそうそう接点がない、、、ただ会計をするだけのごくごくわずかな時間でも、波長が合うやつというにはいる、、それが11年働いていたら、わずか10秒ほどの関わりだけど、友人のように感じる
「まじか!今日だった!、よかった~仕事終わって帰るつもりだったけど、きてよかったよ」
「長かったな、お疲れさん」
バイト君がわざわざ、店をやめるっていうのを伝えてくれるっていうのは、、それなりに10秒足らずの付き合いで、お互い愛着がわいたっていう事でしょう。
捨てたもんじゃないな、わずか10秒😆
頑張れよ30歳!、、、そういえば私も30の時は、仕事が終わってからコンビニでバイトしてたな~独立資金をためるために、、今でもその当時の一緒に働いたバイト君、ミルフーに来てくれるもんな~、きっといい11年になるはず、継続は力なんよ。
「ワックス、つかってくれ!」
「マジっすか使います!」