スタッフのつぶやき&お知らせ
お裁縫クラブ<エプロン男子>
GWが始まり、ウキウキワクワクの人も多いいでしょう、、
お店の入り口の、ハナミズキも”絵”にはならないけど、一生懸命この春を味わってる、、いい感じ。
例年前半が忙しく,後半のんびり、、というのがパターン。。さて今年はどうなりますやら。。。
お客様からの「新聞はないの?」、、文学部も進行中、今月中、、イヤ5月初めには発行したいと、、高松が今せっせとやっています。。
そんな中、お裁縫クラブも始動。
平岩が、デニムやら、スカートをもってきたので、お裁縫クラブとしても、、、作ろう、、、と言うスイッチが入るわけなんです。
生地として使う為には、まず、分解作業からはじめないといけません。
エプロン製作、平岩のデニムだと、一枚のエプロンを作るには、生地としては、一本では足りないので、分解作業が倍になります、、今回は」コーデュロイのスカートを使って作ります。
兎に角エプロンは、汚れるためにある!と思っていますから。私は、タオル代わりにもして、つい、カラーの付いた手をエプロンでふきふきしますから、1年たつと相当な汚れになるわけです。
1年前に一枚、、半年前に一枚、と作り、2枚体制で10年以上作り続けているわけです、、さすがに1年がたつと、、捨てて、新たに作ります。
毎回デニムなので、目新しい感じがありますね~
平岩も久しぶりの部活動、やはり手慣れたもんです、その間に私は、首紐から、、後ろで縛る紐の製作をします
デニムで作るよりも生地が柔らかくて、着け心地がいいですね~。ボタンの部分を切り取り、長さが3段階になるようにしてみたんです。
エプロン男子の誕生です。
歴史街道をゆく
散策は楽しい、、まあ、どこを歩くかによりますが、
この季節、いい香りが漂ってくる
ジャスミン、、今、、黄色い花を咲かせているモッコウバラが目に付く、、意外に、多くの家がこれを咲かせているのがわかる、、と同時に、、このジャスミンの匂いは、気分をリラックスさせてくれる。
あの道、この道と、通路を替えて、いろんなものと出会える、、、。
以前、幼少期を数年間過ごした西川口を散策したことがあった、、隣の駅に、叔母が住んでいたこともあって、、記憶をたどってみようと思ったときがあった。。
意外にも、45年近くたってはいるが、道も、、建物、風景はさほど変わっていなかった、、おふくろが通っていた、美容室がまだあって、、よく遊んだ公園もあって、、お隣のおばさん、年齢的には、当時のお姉ちゃん、、が洗濯ものを干していた、、”、、あの時隣に住んでいた,子供覚えてますか?、、”なんて声を掛けたいけど、、”怪しいやつ”と思われそうだし、、やめた。。
先日、静岡にお墓参りをしたわけなんです、、一人で行くなら、そのまま帰るのが”おち”だけど、そこから足を延ばした、、
ふと、、「この道、、覚えがある、、懐かしいな~」
今から40年ほど前、この道を車で走り、女房をむかえに行った、、
「ママが生まれて、ずっと住んでいたの、このあたりなんだよ、、なつかしい~」
『行ってみたい~」
散策してみることにした、、当時の建物はすでになかったが
「ここだよ、ここに車を止めて、女房が出てくるのを待っていた、携帯もなかったし、、、道は変わってないんだな~」
『ママ、ここに住んでいたんだね~」
駅前は開発で、どんどんと面影は無くなってしまうが、、住宅街に入ると意外に4,50年くらいでは、変わり様がないのかもしれない。。
自分たちの歴史というのがある、、若いうちは気にする事すらない、、歴史になるには時間がど~してもいる、、その過去は既に終わっていないと、、歴史にならない。。
歴史ができるというのは、、、何気に、、、良いことかもしれない。。
歴史街道をゆく
ブログを更新しながら、多少感傷にふけるわけです
それを倍増させているのが、スマホから流れてくる曲、五木ひろしの”山河”、、、
”いい歌だな~”、、、そんな、いい気分になっていると
「おはようございま~す 、、、、、、、ちょっと~朝からこの曲やめてくださいよ~もう~本当に、、やめて~」
現実に引き戻されてしまいました( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
静岡への墓参が、いい癒しの旅になった時
来月に控えている、わたしの心臓の手術、、その事は先日お話ししました。
当然ですが、ビビるわけであります、場所が場所だけに、、、そんな時にできる事は何か?、、、そりゃ、神頼みしか無いわけです。
私は、先祖のお墓参りに度々いきます、以前お話ししましたよね。
新潟、福島、静岡と、程よい距離にある事から、車でひとっ走りしてくるんです。
昨日は、静岡に行ってきたんですが、、大概は、一人でいきます、気楽ですからね、、、ところが、
若干一名が、それを察知、「私も行く」と、なったわけです。。。旅は、道連れですからね。
途中、三島大社による事に。
静岡と言えば三島大社、浅間(せんげん)神社と久能山東照宮ですよね、これは、静岡出身のお嫁さんをもらえば、(まあ、地域差はあると思いますが、静岡市出身なもので、このあたりはご勘弁を、、、)そうなりますし、、ミルフーのお客様の中にもなんにんかは、初詣は、三島大社!と、決めていらっしゃる方もいるくらいです。
ここは、凄かった、なにが?、、鳩達😆境内に入って。はじめての一枚を撮ったわけです、奥の方にハトたちが沢山います
この、人がそばを通っても我関せずのハトたちが、、、とにかく、我々に突進してくるんです、低空飛行で突進です、おいおいどうなっちゃったの?もう笑っちゃいましたよ、ご覧ください
普通にいた、、ある意味この手の神社仏閣にありがちな光景だったのが、、突然、向かってくるわけです、、頭に止まると思いましたよ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
凄いでしょ?一羽、二羽って言うレベルじゃないんですよ。
参拝をして、探索、御朱印ももらい、、。
一路、女房の両親が眠る墓所に出向き。今度は、浅間神社へ
ここの特徴は、な、なんと
これです。
境内には、これだけの神社があり、なかには、
これを、登らないと辿り着けない社もあります。この手のものは、登り切ったら、「まだ、あるじゃん」が常😆、、もちろん、その上が存在していました、
かなりの運動をした後は、、おなかが減るわけです。。。
静岡といえば、おでん、、なんです。。結婚当初、初めておでんを食べたときに、半分以上中身が違っていたのには驚いたものです( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
今回の墓参りは、心臓の手術の成功祈願が目的でしたが、、彩のあるいい旅になりました。
静岡への墓参が、旅の道づれがあることで、いい癒しの旅になりました。
おにぎり、、おむすび、、握り飯
呼び方色々あれど、、、おにぎりの手軽さ、パワー、腹持ちの良さは、ハンバーガーをしのぐ!!家に居ながらにして、誰でも、握れる、、
ご飯に塩を振りかけただけで、、それを”お茶碗”で食べようとすると、、それほど寂しいものはない、、、、ところが!おにぎりにした途端、、それは美化され、、ななんと家庭では、そうそう作れない手間がかかるハンバーガーをも凌駕することがある、、それが熱いご飯を,手を真っ赤にしながら握ってくれる、、おにぎり。。
そういえば、私は、おにぎり、、何て呼びます?私より、上の親世代は、握り飯、、という言い方をする男は多かっただったように思う、、、それを丁寧にいうと、”お握り”
そもそもで、親の世代は”飯(めし)”という言い方をしていた「お母さん!飯(めし)はまだかい」にたいして、母親は「ご飯(はん)の支度で来ましたよ」
男の言葉には”ぶっきらぼう”が付きまとう。。。
男性語と女性語のちがい、、、なのかも、、う~ん面白いテーマだ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
最近、お米が高い、コンビニもおにぎりもどんどん値上げしている、、先日、新潟のスーパーに行ったとき、具が入ったおにぎりが68円には驚いた。。。
ここ数年、街中にも”おにぎり屋さん”は増えていますよね~、あの陳列にはケーキも和菓子もそうだけど魅力を感じる( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、ついついなにがあるのか?立ち止まりたくなるんです。
”具”のレパートリーもだいぶ、豊富になっていますよね~、、でも私はですよ、、昭和の、もう古い人間の部類に入った輩からすると
そこには”おふくろの、、”というのが染みついている、わけです、、、握ったおにぎりの周りに味噌をぬる、、ここから焼いて焼きおにぎりにするのを、、私は味噌をぬったまま、、のが大好きだった。。
先日、「お母さんが握ったおにぎりが食べれない」というお客さんがいた、、、これ、素手がヤダ、、とか、、、というのではなく、、”握りすぎ”、、これは、、ウケた( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
握り方が明暗を分かつ。。。
以前テレビで
目隠しをした人に、すし職人が握ったすしと、,器械が握ったすし、、の食べ比べ、5人中5人が器械がおいしいとなった、、、、メーカーの人の意地が”まさった”
空気感があるように、昔は握れなかったが、今はそれができると、胸を張っていた。
私は、母親が握ってるのを見ていて思ったのは、その昔は、当たり前だが素手で握った、、今はラップや手袋、、、素手で握る時、ぎゅうぎゅうやったら、、熱くてしょうがなかったんじゃないんだろうか?
握って、ごはんが、”熱い!”手を放し、回転させ、、また握る”熱い”とまたなり、手を放し回転させる、、其れの繰り返しだから、力が、熱くて入れられない、だから軽いおにぎりができた。。
だから、手が真っ赤だったのかも、、、、そんな事を今、、なんでだろうな~今ですよ、思った次第です、、情けね~な~もう、、、、”ありがとう”
昨日、吉祥寺の”おむすび”屋さんの差し入れが届いた
ここのおにぎり食べたことあります、大きさも一回り大きく、今やコンビニですら200円オーバーが多い中、100円台がほとんど、、そりゃ~コスパは最強と言っていい、、素朴な塩おむすびの、塩感がまたいい、、、、たまたまか?
おにぎり=手抜き飯、、、いやいやどうして、、奥が深かったですな~
♫かあ~さんが~夜なべ~をして手ぶく~ろ、あんででくれた~♪
防災の意識そのベクトルはどこを向いている
このお店がOPENして10年くらい、経った時、2011年に東日本大震災があった時、、東京では震度5強、、、東京で生まれ育った私が初めて経験する震度だった、
お客様が2人いる時、営業中にそれはきた、、、、一人は中野から、、一人は稲城(調布の先ってかんじかな)、、”帰りをどうする?”交通網がすべて止まってしまった状況で、
「どうも有難うございました、気をつけて帰ってね」、、な~んていう事は出来きるはずもなく。
まずは、バイクで中野のお客様を家まで送る、、しかし帰りには、道はごったっ返し、大渋滞、、普段の渋滞と比べて、それはほぼ進む事が無く、道路にはガソリンを入れる列もでき、ほぼほぼその渋滞は
さて、さて、稲城まで帰るには、どうしたら?店に泊まるという選択肢もあったが、、やはり家に帰りたい、、、歩いて帰る、、でも歩道もごった返している状況、、稲城まで通常なら3時間くらいか?
だったら、という事で私の自転車を貸して暗くなる前に帰路についた。。。
この時はまだ自転車が有効で、、久我山の自転車屋さんの奥様が、、都心の自転車屋さんの自転車が売り切れた、と、いう状況、を後日教えてくれた、。。
そんな、地震を経験したら、
防災の意識は高まるわけです。
最低限でも、このミルフーの入るマンションで何かできないか?最低限、このマンションに入るテナントだけでも何とかできないか?
何が必要か?食料、飲み物はいらない、隣がコンビニっていう事もあるし、スーパーも、ドラックストアも1,2分の距離、、季節関係なく、まず最低限使う物、地震の時に手に入らなくて困った物、、
それは何だ!”ガソリン”と”裸眼用の眼鏡”だった、、バイクは、数台、光悦のバイクがあったし、私を含め平岩も、全員がバイクは運転の経験はあったし、問題は、ガソリンがなければ動かない、、、かなり高価だが保管用のガソリンは売っている。実際、ガソリンはストックしていたし、メガネも家だけでなく、店、車の中に常備するようになった。
新潟の震災の時に、、高速道路上にいた親戚が一番困ったのが、、裸眼用の眼鏡。コンタクトユーザーであった為に、そのままつけっぱなしができない、はずさないといけない。。。。、高速道路には、大きく亀裂が入り、ゆがみ、、一晩を高速道路上で過ごした、コンタクトを外したいが、はずしたら、見えない、、、当たり前に家に帰れると思っていたから、、裸眼用のメガネはなかった。
当時、お客様から、ヘルメットをいただいた、。
「一番大事なのは、頭を守ることだから」と言って、わざわざ買ってきてくれた、、その気持ちがうれしいわけです
そして、このたび、
簡易トイレと、防寒シートをいただき、、備えあれば憂なし、、どこをどう備えるのか?どこに?
当時、お客さまで、東京の家を売り、南アルプス市に三世代で引っ越した方がいる。。
東京が、震災で住めなくなる可能性があるから、友人と3人で別荘を買った方もいる。
さて、さて、防災あなたのベクトルはどこを向いて準備しています?